南高梅とは?意外と知らない
名前の由来や特徴を解説します。
今回は、紀州梅干しの素材である「南高梅」について掘り下げて紹介します。
知っているようで知らない、南高梅の特徴や魅力、さらには南高梅が生まれた歴史についても。
読めば梅干しがもっとおいしくなるかも!?
- ●南高梅は和歌山県の「みなべ町」発祥の品種です。
- ●サイズが大きく、皮は薄く、果肉やわらか。種が小さくて実が厚い。
- ●南高梅の旬の時期は、収穫期にあたる6・7月。
江戸時代、田畑の開墾が難しかった土地で梅の栽培が奨励されたことから、
和歌山県で梅の生産が始まり、定着しました。
その後、明治時代に高田貞楠氏によって大きな果実をつける梅の木が発見され、
これが現在の「南高梅」へとつながっています。
大粒で、肉厚、やわらかな果実は、梅干しだけでなく、様々な加工品にも利用されています。
石神邑おすすめの梅干し
南高梅とは?
あるときは高級梅干し、あるときはフルーティなジャム、そしてまたあるときは芳醇な梅酒に。おいしさそのまま、変幻自在、紀州生まれのニクいアイツ。はたしてその正体は――。
唐突な幕開けですが、本コラムをお読みいただいている皆様なら「その正体」がおわかりのはず。
そう、南高梅です。
紀州の名産品といえば、梅干し。紀州の梅干しといえば、やはり南高梅です。大粒の果実を用いた梅干しは、味も姿も素晴らしく、存在感たっぷり。果肉のやわらかさもあって、お料理や加工品にも大活躍しています。
というわけで、今回は、知っているようで知らない南高梅について掘り下げていきます。
と、なにくわぬ顔で「南高梅」と書いていますが、みなさん、これ、なんと読んでいますか?
和歌山県みなべ町が発祥といわれるこの品種、正式な読み方は「なんこううめ」ですが、一般には「なんこうばい」と呼ばれることも。
どちらかが正しく、どちらかがまちがい、というわけではなさそうなので、お好きな方で読んで(呼んで)いただいて構わないのですが、そう言われると逆に悩みますよね。
シェイクスピアなら、こう書くかもしれません。
「うめ」か「ばい」か、それが問題だ――。
偉人の考えはさておき、石神邑では「なんこううめ」と呼んでいます。
名前の由来
ここで話題は、シェイクスピアが活躍した時代にも近い17世紀、江戸時代初期にまでさかのぼります。
土地が痩せて米などの作物が育ちにくかった紀伊田辺藩では、江戸時代初期に「藪梅(やぶうめ)」の生産が奨励されました。
藪梅は果肉が薄く小粒でしたが、生命力が強く、痩せ地や斜面でも育つことから、この地で次第に広がっていきました。
やがて藩でも保護政策をとるようになり、田辺・みなべ地方を中心に定着していった藪梅の栽培。そこでとれた果実で梅干しを作ったところ、江戸でも人気の品になったそうです。
そうして長い時間が過ぎてゆき、明治時代を迎えます。
上南部村長の長男である高田貞楠は、自身の土地で梅の木を育てるなかで、ひときわ豊かに実をつける木を見つけます。しかもその果実の大粒なこと。高田氏は、この木を母樹として育成し、増殖に取り組みました。
さらに時代がくだって昭和25年。「梅優良母樹選定会」が発足し、5年にわたる研究の結果、高田氏の梅が最優良品種に認定されました。
この調査に尽力したのが南部高校の教諭・竹中勝太郎氏とその生徒たちだったことから、校名と高田氏にちなんで「南高梅」と命名されたのです。
「南高梅」の「高」も「高校」からとった、とする説もありますが、「高田氏」や「高田梅」からとったとする説もあります。梅干しのプロ、そして紀州梅干しの伝統を受け継ぐ者としては、先達への敬意も込めて「高校名と高田氏の双方にちなんだ名前」説を推していきたいと思います。
南高梅の持つ特徴
つづいて果実としての特徴について紹介します。
まずなんといっても粒の大きさ。これがいちばんの特徴でしょう。
東京の友人は紀州梅干しを見たとき、驚きの声を漏らしました。それまで小さな梅干ししか見たことも食べたこともないらしく、紀州梅干しを目撃した際の第一声が「その梅干し、梅干し何個分?」でした。1個分だよ……。
南高梅は皮が薄くて果肉が厚くてやわらかく、種が小さいことも特徴といえます。
青梅のときは全体が緑色ですが、熟していくにつれて黄色味を増していき、日光があたった箇所は鮮やかな紅色がさして、桃のような姿に変化していきます。色だけでなく、熟した南高梅は香りもとってもフルーティに。
石神邑の梅仕事については、ほかの記事でも紹介していますが、南高梅を栽培する農家の多くでは、果実を手で収穫するのではなく、完熟して自然に落下してくるのを待ちます。木から落ちるほどに熟したものが、梅干しづくりに適しているからです。
人の都合ではなく、自然の流れに歩調をあわせる。それが、世界に誇るおいしい梅干しづくりのポイントなのです。
南高梅のサイズは、青梅は大きさで、梅干しは重さでわけられます。
S=2.7cm〜3.0cm未満/7g未満
M=3.0cm〜3.3cm未満/7g〜10g未満
L=3.3cm〜3.7cm未満/10g〜14g未満
2L=3.7cm〜4.1cm未満/14g〜19g未満
3L=4.1cm〜4.5cm未満/19g〜25g未満
4L=4.5cm〜4.9cm未満/25g〜31g未満
上記サイズは、あくまでも目安です。ご了承ください。
なお、石神邑の「うす塩味梅」は2L・3Lが通常粒、4Lが特大粒と区分しています。そう、2L・3Lが通常なんです。
南高梅の産地
南高梅を生んだ和歌山県は、その他の品種も含むと、梅の生産量全国1位。シェアで見ると、約65%を占めており、2位以下に大差をつけての優勝です。
また、梅の結果樹(実がなっている)面積は4880ha*で、和歌山県全体の面積のうち、およそ1.05%に値する広さ。実際には、みなべ町や田辺市を中心とした紀中・紀南地域が主な栽培地なので、そのエリアに限定すると、結果樹が占める割合はもっと広くなるでしょう。
黒潮のおかげで年間通して暖かく穏やかな気候であること、日照時間が長く雨量が多いこと、カルシウムが多い土壌であることなどが梅の栽培に適している理由です。
※近畿農政局ホームページ「統計情報」R4.11月公表データより
みなべ・田辺地域で江戸時代から400年以上も続く梅の栽培方法が、2015年に「みなべ・田辺の梅システム」として、世界農業遺産に認定されました。 「世界農業遺産」とは、世界的に重要な伝統的農林水産業を営む地域(農林水産業システム)に対して、国際連合食糧農業機関(FAO)により認定されるものです。 日本はもちろん、世界に誇れる梅干しを、これからもつくり続けていきます。
南高梅の旬の時期はいつ?
旬、と聞くと「食べごろ」を連想しますが、梅の実は青梅のままでは食べられないこともあり、梅の旬は収穫時期とされています。
南高梅の収穫は6月初旬から始まります。木になっている青梅の収穫につづいて、完熟して地面に落ちた果実の収穫を終えるまでの1ヶ月ほど、梅農家の人々は梅の木が並ぶ斜面に毎日出かけていって、収穫に励みます。
石神邑では、ちょっと早めの5月下旬から6月いっぱいまでが収穫時期で、普段は営業マンとして働くスタッフまで総出で収穫に精を出します。急斜面である梅林を額に汗して歩きまわるためか、終わるころにはちょっとスリムに。
「梅雨」の文字に「梅」が含まれていることからも想像できるように、梅と梅雨には深い関係があります。梅雨の降雨量などで、実のなり具合、粒の大きさ、病害虫の発生状況などが左右されるのです。ゆえに、梅農家の人々にとっては、雨模様がとても重要。
梅雨のころに雨に降られたら、紀州の山間部で雨を浴びる南高梅のことを想像してみてください。そこに息づく歴史と、梅を守ってきた人々のことも思い出していただければ、コラムの筆者としてもたいへん光栄です。
南高梅についてのまとめ
南高梅についての話題、いかがでしたか。
いま、私たちが手掛けている梅干しひとつひとつが、歴史をたどっていけば一本の木につながる。その事実を思うと、すこし不思議な気分になります。
耕作に適さないからといって土地を見捨てるのではなく、そこで育つ梅とともに懸命に生きてきた。そんな先人たちへ、あらためて感謝の気持ちがわいてきます。
シェイクスピアは、ある作品でこんな言葉を書いています。
――運命は星が決めるのではない、我々の思いが決めるのだ。
そう、本当にそうです。自然の変化、時代の変化にあわせて、南高梅の魅力を後世に伝えるためにも、試行錯誤しながら、強い思いを燃やしつづけなくては。
柄にもなくかっこつけた結びとなりましたが、自慢の南高梅を使った紀州梅干し、味もとりどりのご用意しておりますので、本コラムとあわせて、ぜひご賞味ください!